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Chapter U

   スリーピングビューティーの憂鬱  10


長い口づけからようやく解放された柚季は唇を開いて喘いだ。
自分が奪われた呼吸を取り戻すように喉の奥で耳障りな音を立てて荒い息をしているのが分かる。
後れ毛が気になり、自由になった手で後ろ頭を触ってみたがそこにあったはずのシニヨンはすでに跡形もなく解けて、ばらばらになった髪が汗ばんだ項に貼りついていた。
慌てて乱れた髪を整えようとした彼女の手を神保の腕が捕え、そのまま背中に押さえつける。それを振り払おうともがく柚季の抵抗をものともせず、神保は彼女のつんとあげた顎の下から喉のカーブに沿って舌先を軽く滑らせた。
「んっ」
思わず漏れ出てしまった上ずった声は、嫌悪からくるのもではない。
それを察した神保は空いた方の手で引き寄せた彼女に自身の腰を擦りつけると、すでに熱を帯びていた柚季の体が衝撃に震えた。
背中に置かれていた彼の手がゆっくりと下に降りて行き、スカートの裾から忍び込むのを感じたが、心と裏腹の体はそれを拒むどころか緩く足を開き、無意識に指先が太腿の内側をなぞるのを助けようとする。
その間にも神保の手は太腿から足の間へと少しずつ位置を移し、布越しに何度も彼女の秘所を撫で上げた。
自分でも分かるほど潤んだ足の間に彼の指が触れるたびに、体がふらふらと揺れるのを感じるが、彼は柚季を離そうとはしない。
下着の上からの緩慢な愛撫では我慢できなくなった彼女が身を捩り、彼の手に下肢を擦りつけると神保は唇の端を上げて小さく笑った。
「もう我慢できませんか」
その冷静な口調にちらりと上目づかいに伺ったが、彼は息一つ乱さず、平然と彼女の狼狽ぶりを見下ろしている。そんな神保の様子に、柚季は突然冷や水を浴びせられたようにさっと青ざめた。
なぜ彼にはこれほどまでに乱されるのか。
かつて夫であった哲哉は、ベッドの中での彼女のことを「まるで陶器の人形を抱いているようだ」と比喩したことがあった。もちろん、決してこれは褒め言葉ではない。
常に受け身で、なされるがまま。自分を見失うことも熱く燃え上がることもなく、与えられた状況を淡々と受け入れていく。
自分が感じることはなくとも彼が達することで夫婦生活は充分成り立つと思い込んでいた柚季は、そのことに不満にはなかったし、哲哉も同じように感じていると思っていた。
しかし実際彼は従順な彼女ではなく、もっと自分の興奮を掻き立ててくれる別の女性を選んだ。結婚生活の不協和音を取り繕い、隠すようになる以前から、すでに二人はベッドを共にすることがなくなっていた。
どれだけ跡継ぎを切望されても、交渉のない夫婦から自然に子供が産まれる可能性はない。だがそれを知らない周囲は一日も早くと二人に子供を持つことを勧めてくる。
その、口にできないプレッシャーがますます柚季を委縮させ頑なにしたし、そんな鬱々とした思いが知らないうちに哲哉にも伝わっていたのかもしれない。
なぜ自分は彼のベッドから遠ざけられてしまったのか。
思い詰めた彼女の問いに、彼は別れる間際になってようやく正直にその心の内を語ってくれた。
最初は義務として彼女を受け入れるつもりだった。しかし、あまりにもすべてを委ねてくる柚季を義務的に抱くことにいつしか罪悪感を抱き、その有り様に虚しさと息苦しさを感じてしまったのだと。
彼女はその時哲哉に言われるまで、彼の逡巡を察することができなかった。
自分の存在が夫の重荷になっていたとは考えたくないが、現に彼はその重圧と責任を放棄し、もっと楽に自分を生きさせてくれる女性との未来を望んだ。
もちろん彼女にだって感情はあるし、わずかながらも反抗心だって持っていた。彼や周囲に嫌な思いをさせまいとそれを上手く隠していただけで、本当は金切り声で叫んでしまいたいと思ったことだって一度や二度ではない。
それでも柚季は与えられた役柄を演じ続けることしかできなかった。
最後まで彼を責めることなく、物分かりのよい良妻の仮面を被ったまま彼の決断を受け入れてしまう自分に苛立ちを感じながらも、それ以外にどうすることもできなかったのだ。
その時から彼女の心は深い眠りについたままだ。
男性に恋することや、信じることをも柚季は恐れるようになった。もし自分の気持ちが相手を縛る枷になるのなら、そんなものは最初から抱かない方がいい。
それなのに、彼に触れられただけで心の奥が甘い疼きに痺れるのはなぜなのか。
柚季は気づきたくない感情から必死に目を背ける。
これは一時の、体だけの関係だ。心まで彼に囚われるわけにはいかない。

神保の指が彼女の顎を押し上げ、真っ直ぐに視線を合わせる。
答えを口にしない柚季に、彼は少し苛立ったような表情を浮かべた。
「私は我慢できません、いえ、もう待てないと言った方が正解かな」
神保は掴んでいた腕を解放すると素早くブラウスの裾を引き出して、そこから直に背中へと手を這わせる。
「こ、ここで?」
彼は肯定も否定もせず、ただ彼女を側にあったソファーに押し倒す。
覆いかぶさってくる彼の体温を感じた柚季は、ゆっくり目を閉じながらその抗い難い熱を両手で抱きしめた。




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